2014年春その当時、私の勤務する店舗、梅田店は全盛期であった。連日満席御礼。
これは私とある男との出会いのことだ。2014年春その当時、私の勤務する店舗、梅田店は全盛期であった。連日満席御礼。平日でもたくさんのお客様で長蛇の列ができていた。売上はずっと右肩上がり。まさに飛ぶ鳥をも落とす破竹の勢いであった。そんな折に面接に現れたのが、この男だ。男というか男の子。中肉中背。色白。眼鏡。服装もお洒落とはほど遠い。話し方もモゴモゴしてはっきりしない。どっからどう見ても垢抜けない。イモっぽいという言葉がしっくりときた。言うまでもなく、面接結果は、不採用に。
面接したことすらすっかり忘れていた頃、1本の電話が掛かってきた。品川高輪店の店長マイクさんからであった。用件は先日面接した例の男の子が、品川高輪店で働いていた元アウトバッカーの知人だとのこと。何かのご縁なので、ぜひ採用してくれないかとの話だった。そんな経緯があり、男の採用は決まった。要はコネで運よく入ってきたのだ。いざ働いてもらうと、面接の時の印象そのままであった。ポカミスが多く、やらかしてばかり。私だけではなく、先輩たちにも、いつも怒られていた。とにかく要領が悪いのだ。もしかしたら、辛くて辞めようと思ったことも一度や二度ではないかもしれない。それでも、男はいくら怒られても、辛抱強く、めげずに働いていた。怒られてばかりであったが、なぜか不思議と男はいつも楽しそうにしていた。
“ん?ちょっと待てよ。こんな奴、どっかで会ったことがあるぞ。とにかくサービスが好きで好きでしょうがないけど、要領が悪くて、仕事のできないやつ。”と、遠い昔の記憶の糸を手繰り寄せていく。あ!そうだ!男はアルバイトでサーバーをしていた頃の私にソックリであったのだ。思い返せば私も、アウトバック入ったばかりの頃は、本当によく怒られていた。当時の幕張店の店長の角田さんに「お前は自分のテーブルだけみてろ!他はなにもしなくていい!」と、半ば諦め気味に怒られたことがある。私はその言葉を真に受け、それ以来、本当に自分のテーブルだけをみていた。私はその時から、サービスの魅力に憑りつかれていった。私たちは、似たもの同士であった。私は男と昔の自分の面影を、重ね合わせるようになった。時が経つにつれて、私たちの距離が縮まっていくのは自然の成り行きであった。
この頃の私は今とは違い、変な気負いがあり、アルバイトのアウトバッカーとプライベートで店の外で会うことはなかった。唯一の例外はこの男だ。男二人でフレンチに行くことも一度や二度ではなかった。サービステクニックを身に付ける一番手っ取り早い方法は、良いサービスを受けて、それを真似することだ。料理やワインの味はもちろん、サービスを学びに数々な名の通った店を食べ歩いた。その度に、私たちは受けたサービスについて語り合い、共に貪欲に学んでいった。レストラン業界の横の繋がりもでき、一緒に交流会にも参加し、一流レストランのシェフや一流ホテルのサービスマンの先輩諸氏と、陽が昇るまで飲み明かしたこともあった。忙しさに追われ、月日はあっという間に過ぎ去っていった。
その時の梅田店は店舗移転の予定があり、旧店舗から移転するまでが最も忙しく、まさに激動の時代であった。そんななか男も揉まれていった。しかし、男はいつまで経っても、作業効率はあまり成長しなかった。その代わりに、ホスピタリティに関しては群を抜いて高かった。特に強く記憶に刻まれているのは、ある年のハロウィンの営業である。男は伝説のロックバンドQueenのフレディマーキュリーに見事に成りきり、お客様もアウトバッカーも、その場にいる全ての人たちを大いに楽しませた。そして、なによりも本人が一番楽しんでいた。男のエンターテイナーとしての才能が発揮された象徴的な出来事であった。男はお客様だけではなく、仲間たちにもホスピタリティを発揮し、次第にみんなから慕われるようになっていった。大学4年生になる頃には、トレーナーにも就任にし、リーダーとしての役割を担うようになっていた。
卒業の年には、晴れてEOY(年間最優秀アルバイト従業員)に選ばれた。東京で開催された受賞パーティーにも出席。パーティーの後にも男のやらかしエピソードがあるが、ここでは男の名誉のために割愛しておくことにしておこう。男はEOY受賞者の中からさらに香港視察旅行のメンバーにも選ばれ、香港のアウトバックに社長や店長陣に混じり同行した。アウトバック全店に顔と名前を知られるようになり、名実ともにMR.アウトバッカーへと成長していった。男の高いホスピタリティは、いったいどこで培われたのか?「全部兄さんから教わりました。」と男は言うが、私は何も教えていない。男は幼少の頃から、ディズニーが大好きであった。私と男が仲良くなった共通点のひとつにお互いにディズニーが好きだということがあった。
男の家族全員がディズニーファンであった。ディズニーキャラクターのお揃いのシャツを着て、家族で東京ディズニーランドはもちろん、海外のパークにも旅行に出かけるほどの生粋のディズニーファンだ。ディズニーの名作映画も新旧問わずほとんど観ている。男は幼少期からディズニーから多大な影響を受けて育っていた。男は知らず知らずのうちに、ディズニーからホスピタリティを学んでいたのだ。男の夢はいつの間にか、ディズニーキャストになることになっていた。就活では、第一志望は迷わずオリエンタルランドに決めていた。しかし、あっけなく落選。何段階かある審査の内の初期の方で落とされてしまった。男の夢は脆くも散り去った。捨てる神あれば拾う神ありで、同じテーマパーク業界の名古屋のレゴランドから内定が出た。男はレゴランドに入社する道を選ぶことになった。
男がレゴランドで配属されたのはサービスではなく、キッチン。同期入社の仲間たちは、理想と現実とのギャップを受け入れることができずに、一人、また一人、と辞めていった。そんな状況下でも、男は両腕に数えきれないほどの火傷を負いながら懸命に働いていた。男の不器用さはここに来ても変わっていなかった。年上のパートさんとの人間関係にも相当苦労したようだ。入社したてのこの頃は、泣き言や弱音もよく吐いていた。しかし男は、決して腐ることはなかった。アウトバックでアルバイトをしていた頃と同じように、どんなに辛いことがあっても、ゲストや仲間たちへのホスピタリティを忘れることはなかった。そんな男に周りが付いてきた。同期入社の農家の倅が男のワンルームマンションに居候をするようになり、人生初めての一人暮らしも寂しくはなかったようだ。農家の倅の実家から、男のマンションに米が送られてきて、食べるものにも困らなかった。一歳下の後輩の子とも付き合うようになった。お金を貯めてディズニーへ旅行にもいった。余談だが、2人のキューピットになったのはこの私だ。私が名古屋に遊びに行った際に、その時はまだ付き合ってはいなかったが、彼女も誘って3人で名古屋コーチンの鍋を食べに行った。その席で私が男の武勇伝を披露し、2人をくっつけることに成功したのだ。2人の結婚式ではスピーチをする気満々であったが、残念ながら、その恋は実らずに終わりを迎えてしまった。
話が逸れてしまったので、元に戻すとしよう。私は、年一度のペースでレゴランドに招待されていた。男が勤務している日もあったし、休みで一緒にパークを回ったこともあった。一緒にパークを回る時は、男がガイド役となり、細かなこだわりやバックグラウンドストーリーをユーモアたっぷりに話してくれた。男は行く先々で同僚や先輩と談笑し、皆から慕われているのが伝わってきた。私は、その光景を見ることがなによりも嬉しかった。男はレゴランドでも、周りの支えを受けながら、いなくてはならない存在に成長していたのだ。
男がレゴランドに入社して、あっという間に5年が過ぎた。私が直近に遊びに行ったのは2022年の夏のとても暑い日だった。男はパークのメインダイニイングに位置するレストランのキッチンの運営責任者を任せられるまでになっていた。現場の指揮を執り、多くの部下の育成にも携わっていた。オープンキッチンでコックコートを着て働く男の姿は、入社した当初と比べものにならないほどに逞しくなっていた。なんだか風格のようなものも感じられた。その姿を見て、私は胸が“ジーン”とする思いがした。男は徐々に仕事が楽しくなってきたと言い、どうしたらもっとゲストに喜んでもらえるのか、どうしたらもっとレゴランドを発展させられるか、と熱心に思いを私に語ってくれた。
2023年2月6日12時。天気は雪。私と男は京都二条城近くの老舗ホテルの中華で食事をした。事前に大切な話があると聞いていたので、私は落ち着いた雰囲気の店に予約を入れておいた。ビールでの乾杯もそこそこに、早速本題に入った。男は、ハッキリとした口調でこう言った。「オリエンタルランドへの転職が決まりました。」予想外の出来事に、私はとっさにはリアクションが取れなかった。そして、ジワジワと嬉しさが沸き上がってきた。ついに、男の夢が叶ったのだ。おそらく今の男だからこそ、採用担当者の目に留まったのであろう。夢を諦めることなく、日々努力し続けた結果が実ったのだ。お天道様は必ず見ているというが、まさにその通りだと思う。詳しく話を聞くと、中途採用は殆ど行っておらず、奇跡的に昨年の秋頃にポッと求人が出たとのこと。男はこの貴重なチャンスを逃すことなく、見事に獲得したのであった。私は、嬉しさのあまり奮発してシャンパンのボトルをオーダーした。この時のシャンパンの味は今でも忘れられない。爽快で清々しいものであった。昼食の後は、男が母校に行きたいというので、地下鉄に乗り同志社大学へと向かった。男はいつもの調子で、キャンパス内を陽気に案内してくれた。そういえば、男は大学にも一浪して入ったんだったなと思い出した。この日のディナーは、現役アウトバッカーのバースデーパーティーを開催する予定になっていた。男はサプライズゲストで登場する段取りになっていた。私と男は会場である鳥丸御池のデザインホテルに開始時間よりもだいぶ早く着いてしまったので、ロビーでコーヒーを飲んで時間を潰すことにした。吹雪の中で移動してきたので、その時のコーヒーの温かさは体に染み渡った。
私は東京の実家にいる母に電話をすることにした。普段めったに電話をすることはないが、この日ばかりは嬉しくて話をしたいと思ったのだ。私の母は男とは面識はないが、私が男のことをたまに話すので、母は男の人となりを良く知っていた。私の母は、男の夢が叶ったことをとても喜んでくれた。そして、電話をきるなり短歌をLINEで送ってくれた。“夢を追い かなえた君の 挑戦に やれば出来ると 涙止まれず”母の短歌に男は涙を流して喜んだ。そして、男は自分の母親に転送した。それからすぐに、男のお母さんが、川柳を綺麗な和紙に上手な文字で書いたものを、写真に撮って送ってくれた。芦屋に住むお母さんも泣いて喜んでくれたそうだ。お互いの母親の温かさが、心に染み渡り、なんとも幸せな時間がゆっくりと流れた。
19時になりパーティーはスタートした。参加メンバーがみんな揃った後に、男はバースデーソングを歌いながら登場した。まさかのサプライズゲストの登場に、主役は驚きを隠しきれず大喜びだ。男は主役を盛り上げるとともに、一緒に働いたこともない後輩にもフレンドリーに振る舞い、場の雰囲気を作っていた。さらに、男の凄いところは、店員さんにもホスピタリティを発揮するところだ。店員さんとのコミュニケーションの取り方も、職人技と言っても過言ではないくらいに上手だ。男は店員さんに様々な質問をするが、決して偉ぶることもなく、長時間引き止めたりもしない。店員さんも嬉しそうに料理の説明をしてくれる。本格イタリアンがより一層美味しく感じ、ますますパーティーは盛り上がりをみせた。男は前半に飛ばし過ぎて、後半に少しだけトーンダウンしていたが、これも要領の悪い、この男らしい一面だ。
パーティーが終わる頃には、京都の街は一面雪に覆われていた。中心部でも10センチ以上の積雪があった。私が住んでいる大阪市内は雪が降っても積もることはない。私が生まれ育った東京の街もそうだ。目の前に広がる光景は、なんとも美しく、感傷的でもあった。乗る予定だったJR、阪急阪神電車は軒並み運休。タクシーもつかまらない。唯一動いていた京阪電車の駅までの道のりは途方のなく長く、雪に足も取られて、雪に慣れていない私たちには険しいものであった。しかし、酔いも回っていたこともあり、途中で写真を撮ったり、雪合戦をしたりと、無邪気に戯れ合いながら、みんなで遠い駅を目指した。年齢も異なるメンバーの誰もが童心に帰り、その時間を楽しんだ。
なんとか京阪電車の祇園四条駅に辿り着き、無事に大阪まで帰ってくることができた。私は零時を回る頃に帰宅し、とても暖かい気持ちを抱きながら深い眠りについたのであった。私にとって、この日は、最高に楽しく、最高に嬉しく、最高に幸せな、一日となった。きっと男のことだから、ディズニーに入っても苦労をすることだろう。しかし、男なら絶対に乗り越えられると確信している。今までもたくさんの試練を乗り超えてきたのだから。そして、男はたくさんのゲストに幸せを届け、いつしかディズニーにはなくてはならない存在へと成長していくことであろう。2023年3月中旬。男は1週間限定で、梅田店で働く予定になっている。たくさんのお客様を笑顔にし、多くの後輩たちに、たくさんの学びと、刺激を与えてくれることを期待している。そして、私は男と再び一緒に働けることを、誰よりも楽しみにしている。男の名は、田原章太郎という。血は繋がっていないが、私の自慢の弟だ。