OUTBACKで生まれたちょっといいお話集

私が、OUTBACKで働き始めたキッカケは、本当に些細な巡り合わせからでした。

品川港南

OUTBACKER | TOMOさん
2025 Vol.9 Episode4

 OUTBACKで働き始めて早いもので5年の月日が経過しました。今回は、私の他愛もないお話と、OUTBACKでの出来事を簡単にご紹介したいと思います。
 私が、OUTBACKで働き始めたキッカケは、本当に些細な巡り合わせからでした。当時、私は27歳で職場環境に先を見いだせず、「そろそろ転職しようかな~。」と、軽い気持ちを抱きながら毎日を過ごしていました。そんな私にある日、営業前の開店準備中に一本の電話が鳴りました。今思えば、その電話が鳴らなければ、ましては、私がその電話を取らなければ、OUTBACKで働く私は存在しなかったです。そんな、些細な巡り合わせで、私は5年前にOUTBACKで働き始めました。入社後は、今まで経験のないキッチン業務に明け暮れていました。OUTBACKのキッチンスタッフは、9割が外国人留学生を中心とした外国籍の方で構成されています。もちろん現場の責任者も外国人です。そもそも、日本語が伝わらないスタッフも勿論います。そんな中、私の作業が追い付かないことや、ミスなどで他のキッチンスタッフに迷惑をかけてばかりの日々でした。それでも彼らは、その都度、嫌な顔ひとつせず、「大丈夫、大丈夫。」と笑顔で励ましてくれ、時には勉強中の日本語を必死に振り絞って、私に作業一つ一つを丁寧に教えてくれました。そんな彼らはとは、トレーニングを終えて店舗を異動し、数年経った今、また同じ店舗で働いています。5年の月日の中で、私は2店舗で働かせていただきました。よく考えると、5年経てば人が他の人のことを忘れるには十分すぎる時間だな、と思ったりもします。忘れるまでにはならないにしても、疎遠になったり、記憶を掘り返さなければ、思い出せないレベルになったりすると思います。
 ある年末年始の出来事ですが、年始の営業のシフトがどうしても埋まらず、猫の手も借りたいくらいで、ざっと見積もっても、通常営業するにはあと5人は足りない状況でした。この状況をどうにかしようと、卒業して社会人になっている元アウトバッカーに、駄目もとで連絡をしてみました。すると、ほぼ全員の元アウトバッカーから、「久しぶりに働きたいです!」 「是非働かせてください!」と連絡が途絶えず来て、結果として人が集まり過ぎてしまい、結果的に、ほとんどお断りすることになってしまいました。さらに、最近の出来事では、オープン20周年と従業員の還暦祝いのために、過去20年間に働いていた元アウトバッカーたちが60名以上も集まってくれました。何世代もの元アウトバッカーが当時の話に花を咲かせ、笑い合い語り合っていました。一緒に働いたこともないですし、私より年上ですし、お名前も知らない人がたくさんいましたが、それでも当時、OUTBACKで充実した時間を謳歌したのだな、ということは、会話せずともひしひしと伝わってきました。
 「久しぶりに働きたい。」と思った元アウトバッカーも同じで、働いていた時間が、かけがえのないものだったからこそだと思います。この出来事に素直に感動してしまいました。誤解して欲しくないですが、我々は“仕事”を通じて、OUTBACKというコミュニティに集まっています。“覚えることは多い” “やる事は多い” “大変”、アルバイトというカテゴリーの中では、お世辞にも楽な仕事ではないと思います。時給も高くはないです・・・。それでも、日々お客様に喜んでもらうため、同じお店で働くアウトバッカーに喜んでもらうため、“一生懸命”であったからこそ、どんなに月日が経ってもOUTBACKは、これまでOUTBACKで働いた人にとって、かけがえのないものになっているのだと感じています。
 入社当初のある日、トレーニングを一通り終えると、オフィスに呼び出されました。当時の店長に「あなたには、OUTBACKのことをもっと良く知って欲しい。」という言葉を投げかけられたことを、今でも鮮明に覚えています。当時の私は「???」といった感じで、“会社のこと?業務内容?何のことだろう?”とあまり真に受けず、その時はこの意味を深く考えてはいませんでした。今の私は、その意味をしっかりと理解して、同じオフィスに店長として座っています。これからは、私がアウトバックに関わる全ての人に、その意味を届けていこうと思います。